ネット上で「東海地域文化研究-その歴史と文化」(思文閣出版)に当青麻神社に関する記載があるのを発見、早速入手し読んでみた。
内容は、「東奥紀行」と題する、芭蕉の「奥の細道」にならった紀行文でした。作者は信州安曇野松川村の平林有山(ペンネームは江上草庵)氏で、明治20年に千葉・東京・そして横浜から船で仙台へ、さらに福島、栃木、群馬を経て信州へ帰るという旅である。

驚いたことに、旅立ちの章には、次のようにある「都の花も見ごろとか、奥の青麻や塩釜や松島わたり心がけ、・・・・」。なんと、松島・塩釜より先に青麻とあるではないか。
そして、青麻参詣については、「青麻に赴く、塩釜の町端づれより岐れ道あり。利府町まで一里半、是より又仙台との岐れ道あり。こも一里半にして漸く宮城郡岩切村の山中なる青麻神社に達せり。年来の宿願にて今日爰に参拝するを得たるは、神の御恵みなりと歓喜の情ににたえず--春風に乗りて来にけり神詣 有山」とある。

あの風光明媚で多彩な文化を持つ信州の地の人々が、なぜ青麻神社へのかくも深い信仰をいだいたのかは謎である。
自分は学生時代に、車で信州を旅して、あの圧倒的な山や谷、村や町の景観にくらべて、ふるさと宮城の景観が小さく思えた記憶が鮮明によみがえる。信州と青麻のつながり奥に何があるのかと、あらためて考えさせられた。
2011/06/21(火) 17:09 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください